
そもそも「世界の四大宗教」とは何か
「世界の四大宗教」という言葉は、厳密な学術用語というより、理解のための便宜的な呼び方です。一般にこの言葉で指されるのは、下記の四つです。
- 仏教
- キリスト教
- イスラム教
- ヒンドゥー教
共通点は、
- 歴史が古い
- 信者数が非常に多い
- 一国・一地域にとどまらず広く影響を与えてきた
という点にあります。
ただし注意したいのは、「この四つが偉くて、他はそうではない」という意味ではない、ということです。
あくまで世界史や思想史を俯瞰するための“枠組み”にすぎません。その枠組みを頭の片隅に置いたうえで、それぞれの宗教を「人物と問いの物語」として見ていきましょう。
仏教──ゴータマ・シッダールタが見抜いた「苦しみの構造」
仏教の出発点は、ゴータマ・シッダールタという一人の人間の違和感でした。彼は王子として生まれ、何不自由ない人生を約束されていました。それでも、老い、病、死という現実を前にして、「なぜ人は必ず苦しむのか」という問いを抱きます。
当時のインドでは、バラモン教(後のヒンドゥー教)が社会の基盤でした。人は輪廻転生を繰り返し、業(カルマ)によって次の生が決まると考えられていました。
多くの人は、より良い来世を目指して生きていましたが、シッダールタはこう考えます。
「回り続けること自体が、問題なのではないか」
彼が到達した答えは、苦しみの原因は外側ではなく、執着する心そのものにある、というものでした。
執着が完全に消えた状態を、仏教では解脱、あるいは涅槃と呼びます。
仏教はのちに、個人の修行を重視する上座部仏教と、他者とともに悟りを目指す大乗仏教へと広がります。
現在、仏教徒が最も多い国は中国です。日本の仏教は、その長い思想の旅の終盤に位置しています。
キリスト教──イエス・キリストが語った「赦されるという発想」
イエス・キリストが活動していたのは、ローマ帝国の支配下にあったユダヤ社会でした。ユダヤ教では、神の律法を守ることが強く求められていました。正しく生きなければ救われない、という緊張感のある世界です。
その中でイエスは、「神はあなたを愛している」と語ります。
善人だから愛されるのではない。罪を持つ存在であっても、愛されている。この考え方は、当時の価値観を大きく揺さぶりました。
キリスト教は、ユダヤ教を母体として生まれました。旧約聖書は両者で共通しています。イエスを「救世主(メシア)」と受け入れたかどうかが、両者の決定的な違いです。
のちにキリスト教は、カトリックとプロテスタントに分かれ、ヨーロッパからアメリカ大陸へと広がっていきました。
現在、キリスト教徒が最も多い国はアメリカ合衆国です。
イスラム教──ムハンマドが示した「神に委ねる生き方」
ムハンマド(モハメッド)**が生きた7世紀のアラビア半島は、部族間の争いが絶えない地域でした。
彼が受け取った啓示は、非常にシンプルです。
神は唯一である。人は、その神に服従して生きるべきである。
イスラム教は、ユダヤ教・キリスト教と同じ神を信じています。アブラハム、モーセ、イエスは、すべて預言者として尊敬されています。ムハンマドは、その流れを締めくくる最後の預言者です。
イスラム教では、信仰は生活そのものです。祈り、断食、喜捨といった行為が、日々のリズムを形作ります。宗派としては、スンニ派とシーア派がありますが、信仰の核は共通しています。
イスラム教徒が最も多い国は、中東ではなくインドネシアです。
ヒンドゥー教──すべての源流に近い、名もなき宗教
ヒンドゥー教には、「この人が始めた」という教祖がいません。
それは、ヒンドゥー教が一人の思想家によって作られた宗教ではなく、文明の中で自然に育った宗教だからです。
- 輪廻転生
- 業(カルマ)。
- 多神信仰。
これらは、インドの人々にとって思想というより、空気のようなものです。
仏教は、このヒンドゥー教的世界観の中から生まれました。ヒンドゥー教が「この世界をどう生きるか」を問う宗教なら、仏教は「そこからどう自由になるか」を問う宗教とも言えます。
ヒンドゥー教徒の大多数は、現在もインドに集中しています。
おわりに──宗教は「人間が問い続けた痕跡」
世界の四大宗教は、決して無関係に生まれたものではありません。思想は連なり、問いは引き継がれ、時代ごとに形を変えてきました。宗教を「信じるか、信じないか」だけで見るのではなく、人類が何を恐れ、何を願ってきたかの記録として眺めると、その輪郭が少し柔らかく見えてきます。
気になった宗教が一つでもあれば、そこから先は、あなた自身の関心に任せて深掘りしてみてください。
