
「仏教はインドで生まれた宗教なのに、なぜインドではほとんど信仰されていないのか?」
仏教に少しでも興味を持った人なら、一度は抱く疑問ではないでしょうか。
日本では、仏教は1400年以上にわたって文化・思想・倫理観に深く根づいてきました。一方、仏陀(ブッダ)が悟りを開いたインドでは、仏教は長い歴史の中で衰退し、現在は少数派宗教となっています。
この記事では、
「なぜインド仏教は衰退したのか」
という問いに対して、
- 年代を追いながら
- 政治・宗教・社会の変化を絡めて
- 単純な「滅びた」という話ではなく
できるだけ立体的に解説していきます。
結論を先に言えば、
インド仏教は「一つの理由」で滅びたのではありません。
いくつもの要因が、何世紀にもわたって重なり合った結果なのです。
1. 仏教誕生と初期の広がり(紀元前5世紀ごろ)
仏教は、紀元前5世紀ごろ、ガウタマ・シッダールタ(釈迦、ブッダ)によって生まれました。
当時のインド社会は、
- バラモン教(後のヒンドゥー教の原型)
- 厳格なカースト制度
- 祭式中心で難解な宗教実践
が支配的でした。
そこに仏陀は、
- 生まれや身分に関係なく
- 神ではなく「自らの悟り」によって
- 苦しみから解放される道
を説きます。
これは当時としては非常に革新的で、
王侯貴族から商人、庶民まで、幅広い層に支持されました。
2. アショーカ王による国家的保護(紀元前3世紀)
インド仏教史における最大の転機が、
**マウリヤ朝のアショーカ王(在位:紀元前268年ごろ〜232年ごろ)**です。
アショーカ王とは何者か
アショーカ王は、当初は好戦的な王でした。
しかし、**カリンガ国征服(紀元前260年ごろ)**での大量殺戮をきっかけに深く悔悟し、仏教に帰依します。
その後、彼は、
- 仏教を国家レベルで保護
- 仏塔(ストゥーパ)を各地に建立
- 仏教僧団(サンガ)を支援
- 仏教をインド全土、さらには国外へ布教
という政策を行いました。
この時代、仏教は「インドの一大宗教」として最盛期を迎えます。
3. 王朝交代と仏教保護の弱体化(紀元前2世紀〜)
しかし、アショーカ王の死後、マウリヤ朝は急速に衰退します。
重要なポイント
- 仏教は「国家権力の後ろ盾」に大きく依存していた
- 後継王たちは必ずしも仏教を重視しなかった
- 地方ではバラモン(司祭階級)が再び力を持つ
この頃から、
- 王の支援を失った僧院の衰退
- 在家信者との距離の拡大
が徐々に進みます。
仏教はすぐに消えたわけではありませんが、
**「政治と距離を取れなかった弱点」**が、ここで表面化し始めます。
4. ヒンドゥー教の再編と仏教の吸収(4〜8世紀)
ヒンドゥー教の成立
4世紀以降、インドではバラモン教が大きく変化し、
ヒンドゥー教として再編されていきます。
ヒンドゥー教は非常に柔軟でした。
- 多神信仰を許容する
- 地域の信仰を取り込む
- 他宗教を「排除」ではなく「包摂」する
その結果、仏教に対しても、
- 仏陀を「ヴィシュヌ神の化身(アヴァターラ)」の一つと位置づける
- 仏教思想をヒンドゥー哲学に取り込む
という形が取られました。
仏塔が「ヒンドゥー教のもの」になる
この時期、多くの仏塔や仏教遺跡が、
- ヒンドゥー寺院として再利用される
- もともと仏教のものだという認識が薄れる
という現象が起こります。
つまり、
仏教は「異教として排除」されたのではなく、「ヒンドゥー教の一部」として溶け込まれていったのです。
5. 密教の発展と宗教的境界の曖昧化(7〜12世紀)
7世紀ごろから、インド仏教では**密教(タントラ仏教)**が発展します。
密教では、
- マントラ(真言)
- ムドラー(印)
- 儀礼・呪術的要素
が重視されます。
これは同時代のヒンドゥー教(特にシヴァ派・シャークティ派)と非常に近いものでした。
問題点
- 一般の人から見ると、仏教とヒンドゥー教の違いが分かりにくい
- 僧侶中心・儀礼中心になり、在家信者が離れる
- 「わざわざ仏教である必要性」が薄れる
結果として、
仏教は独自性を失い、社会的基盤を弱めていきます。
6. イスラム勢力の侵攻(12世紀)
インド仏教衰退の「決定打」としてよく語られるのが、
イスラム勢力の侵攻です。
代表的な事件
- 1193年:トルコ系イスラム勢力による
ナーランダー僧院(仏教最高学府)の破壊
ナーランダーは、
- 5世紀ごろ成立
- 全インド・アジアから僧が集まる大学都市
- 数万の僧が学んだとされる
仏教知の象徴でした。
この破壊により、
- 学問的伝統が断絶
- 僧団の組織的基盤が崩壊
します。
ただし重要なのは、
イスラム侵攻だけで仏教が滅びたわけではないという点です。
すでに内部的に弱体化していたため、
決定的な打撃となった、という方が正確でしょう。
7. 仏教の「移動」――東と南へ
インドで衰退する一方、仏教は他地域で生き続けました。
南方仏教(上座部仏教)
- スリランカ(紀元前3世紀〜)
- ミャンマー、タイ、カンボジアなど
アショーカ王時代の布教が基盤となり、
比較的初期の仏教形態を保持しました。
東方仏教(大乗仏教)
- 中国(1世紀ごろ〜)
- 朝鮮半島
- 日本(6世紀〜)
インドで成熟した大乗思想は、
むしろ東アジアで大きく花開いたのです。
8. イギリス人による仏教の再発見(19世紀)
長らく忘れ去られていたインド仏教ですが、
19世紀、イギリス植民地時代に転機が訪れます。
再発見の流れ
- 考古学者による仏塔・遺跡の発掘
- サーンチー、ブッダガヤーの再注目
- パーリ語・サンスクリット文献の研究
これにより、
「インドにはかつて、偉大な仏教文明が存在していた」
という認識が、インド人自身にも広がっていきます。
9. インド仏教再興運動と佐々井秀麗
20世紀、インド独立運動と並行して、
仏教再興運動が起こります。
アンベードカルと改宗運動
1956年、不可触民(ダリット)出身の思想家
B.R.アンベードカルが、
大量の人々とともに仏教へ改宗しました。
仏教は、
- カーストを否定し
- 理性と倫理を重んじる宗教
として再評価されたのです。
佐々井秀麗の存在
日本人僧侶 佐々井秀麗(1935–) は、
アンベードカル以後のインド仏教運動を支えた重要人物です。
彼はインドに渡り、
- ダリット仏教徒の精神的指導者となり
- 日本とインドをつなぐ架け橋となりました
インド仏教は、完全に消えたのではなく、
形を変えて生き続けていたのです。
10. インド独立とパキスタン分離(1947年)
1947年、インドは独立しますが、
同時にパキスタン分離という大きな分断を経験します。
宗教対立(ヒンドゥー教とイスラム教)が前面化し、
仏教は政治的にも人口的にも少数派となりました。
それでも、
- ブッダガヤー
- サールナート
- クシナガラ
といった仏跡は、
世界中の仏教徒にとって巡礼地であり続けています。
結論:インド仏教は「滅びた」のではない
なぜ、インド仏教は衰退したのか。
それは、
- 国家権力との関係
- ヒンドゥー教との融合
- 密教化による変質
- イスラム侵攻
- 社会構造の変化
といった、複合的な歴史の結果でした。
しかし仏教は、
- アジア各地に根づき
- 現代インドで再び息を吹き返しつつあり
- 世界宗教として今も生き続けています
仏教の歴史を知ることは、
単なる宗教史ではなく、
人間社会と思想のダイナミズムを知ることでもあります。
この記事が、
「もっと詳しく知りたい」
そう思うきっかけになれば幸いです。


